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フェルメール展

大阪市立美術館で2019年2月16日から始まったフェルメール展に行ってきた。

大阪メトロ動物園前駅(どうでもよいが大阪メトロという言い方にはまだ慣れることができていない)で降りて、新世界側の入り口から天王寺公園に入る。

天王寺動物園をまたいで美術館に伸びる道と、その突き当りの階段の上にある重厚な美術館の建物の姿はとてもモダンだ。

美術館入り口前で振り返ると今歩いてきた道の向こうに通天閣が見える。

フェルメール展は、もちろんフェルメールの作品だけしか出展されていないわけではない。 全体が大きく6つのテーマに分類されている。

こうした流れの展示でオランダ画壇のフェルメールに至るまでの画題の流行りなどを順に追いつつ、それらの流れを踏まえてフェルメールの作品を鑑賞できるように構成されている。

今回、日本初公開となるフェルメール作品が「取り持ち女」である。

ja.wikipedia.org

フェルメールの中では初期に分類される1656年の作品。 娼婦と男性客との間を取り持つ老女とが描かれている。これらの人物との関係がなさそうな男が左端に描かれており、これをフェルメールの自画像だとする研究もあるらしい(残念ながら明確にフェルメールの自画像が描かれた作品が確認されていないため、この男がフェルメールなのかどうか容貌で確認することはできない)。

全体に、フェルメールの作品はやはりほかのものとは少し違う趣を備えているように思う。今回出展されている作品でいえば特に「リュート調弦する女」以降の時期に描かれた4点は、陰影の表現だけではなく構図においても実に巧みであるように思った。それはそこに物語を読み取らせる力といえるかもしれない。

もちろん私は絵画に関しては素人なので専門的なことは言えないが、窓とそこから差し込む光線、その光線によって際立つ室内の陰、その中で浮かび上がる人物の配置など計算されたバランスの良さを感じる。

そのバランスの良さが空間としての広がりだけではなく時間軸とそこに成り立つ物語も想像させるのだが、その力がとても強い。否が応でも物語を心の中で描かせる強制性といえるだろうか。 もちろんフェルメール作品だけでなく、例えばメツーの手紙を書く男/手紙を読む女という対の作品など、その他の作品でも同様の力を感じるものはある。

それは風景画における動きの一部を切り取る技法や、静物画の陰影の技法などがこうした風俗画の物語性の成立の前提として存在し、その時代の流れの中でフェルメール作品の中で1つの結実をみたということなのかもしれない。

今回の展示の流れに沿って観覧してみて、そんなことを考えたりした。