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梅と御土居と痛恨のミス

2019年2月23日(土)から京都文化博物館で「北野天満宮 信仰と名宝」という展覧会が始まるということを知った。

国宝「北野天神縁起絵巻」も公開されるという。藤原氏との権力闘争に敗れ太宰府に左遷された菅原道真が没後雷を落とすなど朝廷に祟ったため、その祟りを恐れた朝廷が道真の名誉を回復しやがて信仰の対象になったというストーリーを絵巻物にしたもので、今はどうか知らないが私が学生だった30年ほど前は教科書にもその一部が掲載されていたと思う。

 

そういえば2月25日は北野天満宮の梅花祭だ。先の展覧会も始まっているし、たまたま連続した休暇を取っている期間中の平日でもある。展覧会で天神さんのお宝を見てから観梅というのは魅力的な流れだ。

 

そんなわけで朝から阪急電車に乗って京都へ向かった。

烏丸駅で降りてそのまま烏丸通を北へ歩く。烏丸三条の交差点を右折し三条通を東へ行くと博物館のレンガ造りでモダンな建物が見えてきた。

時間は開館時刻の10時ジャスト。入口は確か東側だったはず。

 

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……休館日だった……。

 

だいたいミュージアムは月曜が休みと相場が決まっているのをすっかり失念していた。こんな基本的なミスをするとは我ながら情けない。頑張って早起きしたのに!

 

さてどうしよう。

うだうだ言っててもしかたがない。この空いた時間を利用してぶらぶら歩いて北野にいくのも良いだろう。この辺りで昼ご飯を食べるつもりだったが、北野にも店はあるはずだ。

 

御池通に出て西へ。歩くうちにだんだん体が温まってきた。風も弱くなってきて2月にしてはいい陽気だ。10分ほど歩いて広い堀川御池の交差点で信号待ちをしていると二条城の櫓が見えた。

 

そういえば二条城にも入ったことがない。門の前はそれほど混雑している様子はないし博物館の代わりにいってみよう。

 

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「二条城」と呼び天守閣もあったようだが、ここは軍事要塞としての城というより政治や儀礼の場としての城だろう。もちろん防御施設としての機能も持ってはいるが内部の建物の配置や動線などにはあまり複雑なものは感じられない。

ただここは徳川家康への将軍宣下に伴う賀儀と、幕末の徳川慶喜による大政奉還が行われた、まさに徳川幕府の始まりの地であり終わりの地であるという、歴史的には実にドラマチックな場所といえる。

 

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美しい装飾がなされた唐門は観光客の写真撮影の主役だ。

 

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唐門の奥が二の丸御殿。国宝に指定されている。

二の丸御殿の内部にも入ることができる。写真撮影は禁止なので写真はないが、障壁画や欄間など徳川の威光と力を示すような絢爛たる装飾品の数々は一見の価値はある(実際には多くは模写で、オリジナルは収蔵館のようなところに保管されているのだが)。

 

時刻は正午になろうとしていた。

北野まではまだ歩かなければならないし、何よりお腹が減ってきた。

二条城を出て丸太町通千本通と歩く。千本通にはここがかつての朱雀大路であったことをアピールするのぼりが至る所に立てられていた。

現代の京都市街をイメージすると千本通は西に寄っているように思うが、確かにここが朱雀大路だったらしい。とはいえ今歩いている辺りは当時でいえば既に大内裏の中だ。

大内裏感はほとんどない昭和な風情を残した通りを北上し、今出川通に出た。ここから西側の一帯が北野だ。いつのまにか大内裏は通り抜けている。「北野」は内裏の北側の郊外の野であったということか。

今出川通はこのまま直進すると天満宮の境内を真っ二つにすることになるためか、東山を背にするとアルファベットのYの字を下から見上げたような形で道路は左に浅く折れる。そしてまた同じように今度は右に浅く折れ再び東西のラインを描いて天満宮の正面を横切る。そして、先のYの右上方向の道が北野天満宮の東参道であり、この道沿いに京都でもっとも古い花街といわれる上七軒がある。

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昼食にはちょうどいい時間帯だが、あいにくランチをやっているような店はすべて列ができている。並んでもいいのだが、もうすこし歩いてみることにした。

 

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天満宮の東側から北側にかけて、道には骨とう品や手作りの小物、古着などを並べた露店がずらりと並んでいた。外国人観光客らしき人も多い。露店に並んでいる品は日本土産にはちょうどいいものなのだろう。

西大路沿いに蕎麦屋があったのでさっと入って蕎麦と天丼のセットで腹を満たした。目の前で天ぷらをあげている主人らしき人も、接客係の女性もみな若い。席はほとんど女性客で埋まっていたが、味も良いし人気があるのもうなずける。

 

北野天満宮に引き返し、まずは天神さんにお参り。この本殿は国宝。ミーハーないい方だがカッコいい建物である。

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楼門隣の絵馬所で御朱印をいただいた後、茶菓子との引換券付きの入場券を買って梅苑に入った。

実は、今回の梅苑で見たかったものがある。「御土居」である。

 

ja.wikipedia.org

北野天満宮の西側には紙屋川(天神川)が流れているが、この川沿いに御土居が築かれ、現在は梅苑の中にその御土居が残っているのだ。

梅苑に入ってすぐ少し坂を上る。実はこれが御土居である。御土居の上にはこここそが御土居であることを教えてくれている。

改めて御土居の上から境内を見てみると、本殿の屋根がちょうど目線の高さに来る。ということは5mくらいの高さだろうか。幅は片側一車線の対面通行道路くらいだろうか。

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一方、紙屋川に降りて御土居を見上げてみると、川は境内よりも一段低いためか、さらに高く感じる。

御土居自身は土を突き固めただけのものと、特に石垣を組んでいたり、舗装していたりはしない。一見すると川沿いにあることもあり単なる堤防にしか見えない。

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実際に御土居の役割としては防衛の側面とともに堤防としての側面もあったらしい。

 

何度も御土居を登ったり降りたりしたあと、梅苑に入るとそこが休憩所だったのでこれ幸いと休憩することにした。

入場券についている茶菓子との引換券を渡すと、小さな昆布茶のパックと紙包みのお菓子が返ってきた。茶屋にはいたるところにポットが用意されており、自分で茶碗に昆布茶を作って飲みなさいという趣向。

もうちょっとちゃんとしたお茶の提供があるのかと思っていたので正直拍子抜けした。これはもうちょっとやりようがあるんじゃないかと考えてしまう。

 

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しばらく梅を眺めて帰路につくことにした。今出川通に出るとバス停に長い行列ができている。到着したバスはすでに乗客がいっぱいで、この列が短くなることはあるのかと思わざるをえない。

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私は北野白梅町駅から嵐電で西院まで出ることにした。

 

京都は人気の観光地で特にここ数年の人の多さはインフラのキャパシティをちょっと超えている気がする。宿泊については町家を利用したゲストハウスが増えているようだが、交通インフラの改善も待ったなしで可及的速やかな対応が必要に思われる。